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 2025.6.26 up

岡潔とノストラダムス

2025年6月26日

数学者 岡潔思想研究会 横山 賢二

 

岡潔とノストラダムス(1)

 

 皆さんは数学者の岡潔と預言者といわれるノストラダムスがつながっているとは、ちょっと想像ができないだろう。こんなことをいうと興味本位のお宅族と間違われることは目に見えているし、ましてやノストラダムスノの預言は1999年に見事に空振りにおわったのだから、今更ノストラダムスを口にする人さえいないのではないだろうか。

 しかし、今から500年近く前の1555年に書かれたあの膨大な量の預言詩が、すべて彼の妄想、もしくは冗談であったとは私にはどうしても思えないし、彼が岡潔とつながっているという事実を確信している私にとっては、違っているのはその日時だけで、預言の内容についてはすべて真実であるとしか思えないのである。

 更にノストラダムスの預言に使った知力(直観)は、水晶玉に未来の映像が映るのだが、それは岡のいう「過去、現在、未来は現在の一位に住し、その現在は一目でわかる」という無差別智の1つ、大円鏡智であることはこの私には知れ切ったことだから。

 また、その預言の解釈についても昔から諸説紛々でこれという定説はないのだが、私が長年温めてきた預言の總合像を皆さんにお伝えするのは後にゆずるとして、先ずは私が最もお伝えしたいノストラダムスと岡潔のつながりについて次に挙げてみたい。

 つまり、その事実を具体的にいうと、ノストラダムスは500年も昔に極東の国日本にいる岡潔の真実の姿を、今日のだれよりも正確に3つの連詩によって描写していたのである。彼はこれは重要だと思うものは、すべて共通なキーワードによって連詩の形にするのが常であった。

 一方私からすれば、現在では岡潔の真実の姿がどういうものであるか知っている人はごく限られているし、ましてや岡潔がノストラダムスの預言詩に出てくることを知っている人も、どう考えても私以外にいるはずはないと思うから、この2人は奇しくもこの私、横山を接点としてつながったことになるのである。

 それではノストラダムスの情報を私に教えてくれた人は誰かというと、ご存知の方もあるかもしれないが、池田邦吉という人である。池田さんは人類滅亡がささやかれた1999年の何年か前からノストラダムス預言詩解読をシリーズで発表した人で、私はその本を書店でなにげなく手に取ったのをきっかけに、その後私としては珍しく10数冊あるシリーズをすべて読み切ったのである。

ノストラダムスの日本観

 そのシリーズのなかで、最も重要と思える池田さんの文章を次にあげてみたい。

 日本を「別の国」と呼び、特別の興味を抱いていたノストラダムス

 ノストラダムスの目には、日本はどのように映っていたのだろう。預言書における日本の記述は、一見不自然に思えるほど多い。

 

 ノストラダムスの世界観は、母国フランスを中心とした世界観である。フランスで生まれ育ち王室顧問まで勤めた人物であることを考慮すれば、当然のことである。フランス国内におこる事件や戦争についての言及がおおく、圧倒的な枚数を母国のために割いているのは、これはもう仕方がない。

 が、そのノストラダムスは一方で、多くの詩をもって、日本に関する記述に当てている。これは一体どう理解すべきなのか。

 ノストラダムスは日本を「別の国」と呼び、日本人を「別の生き方をする人々」と言い表した。「LOyが全く違う」とノストラダムスは指摘する。「LOy」のフランス語発音は「ルワ」、本当の綴りは「LO I」である。法律、規則、原理、掟、戒律、教え、権力などをさし、要するに「社会システム」という意味である。

 ノストラダムスによれば、日本は社会構造が根本的に、欧米諸国はもとより他のいかなる国とも違うらしい。そして、その構成員たる国民、すなわち日本人は、他の民族とは決定的に異なるという。ノストラダムスは、これについて良いとも悪いとも判断を示していない。ただ、目にした事実をありのままに書き記したようだ。

 いかがだろうか。私はノストラダムスの眼力には全く舌を巻く。これほどはっきりと日本の特徴を書いたものを、特に異邦人が、私は見たことがない。当の日本人でも、このことに気づいている人がどれほどいるだろうか。この眼力を持っているから、私はノストラダムスという人を信用しているのである。

 まさにノストラダムスは日本を「別の国」と呼び、日本の社会システムが第7識の西洋とも、第8識、第9識の東洋とも、決定的にちがう第10識「情の国」であることを薄々知っているようである。

 それもそのはず、その名前からも伺えるのであって、ノストラダムスはフランス語でノートルダムというのであるが、その意味は「われらの貴婦人」ということで、西洋では聖母マリアのことであるが、日本でいえば天照大神のことになるのである。従って私は、キリストが天の月読の尊であると岡がいうのと同じく、彼は実はフランス人などではなく日本民族の中核の一人ではないかと思っているのである。

 普通ノストラダムス預言詩解読というと本場欧米のものが主流だが、池田さんは日本人であって、その解読は欧米のものとは全く趣を異にする首尾一貫した、内容の非常にユニークなものである。従ってこれらのことを考え合わせると、ノストラダムスの預言は西洋へではなく、実は21世紀の日本に密かに伝えるために残されたのではないかとさえ私には思えるのである。

 第1の詩

 それでは、これからその3つの詩の解釈から入っていきたい。まず1つ目。

  その平原の高い山の上に、夜、嘆きの月が昇る

  新しい脳のスポエが、ひとりじっとそれを見つめる

  彼は弟子たちによって不死に招かれ

  両眼は南を向き、両腕と胴は火の中にある

  (4巻31番)

 

 この詩は歴代の解読者には全くわからないものであるようなのだが、私は以前、この詩を一目みてハッとした。この4行で岡潔を見事に言い当てていたからである。

 先ず「その平原の高い山の上に」であるが、「その平原」とは何か。それは西洋が主導している今の人類の文化、文明である。私が岡潔解説で何度もいってきたことだが、岡潔から見れば今の人類は西洋の真似をして、物質主義、個人主義という第7識(第1の心)の横這いであって全く進歩していないのである。

 むしろ間違った知を知だとして、それにしがみついているものだから、ご覧のように今や人類は滅亡の危機に瀕している。だから真っ平らな「平原」だというのである。

 次に「高い山」とは何か。低い山を「岡」というのだが、私から見れば岡潔は比隣を絶した高い山であって、平原から抜きんでた日本の霊峰、富士を連想するのである。既にここに岡潔を匂わせるキーワードがでてきている。

 次に「夜、嘆きの月が昇る」であるが、ノストラダムスは日本を「太陽」、従って地球の反対側にある西洋を「月」と位置づけている。そうするとこの句は、今や凋落にある西洋文明を象徴する「月」が高い山(岡)の上に昇るということになる。

 次に「新しい脳のスポエ」であるが、「スポエ」とは画期的な人という意味らしい。岡は西洋の数学をやることによって日本人には珍しく、科学の基礎である大脳前頭葉を鍛えぬいた人であるし、一方今日の脳科学では及びもつかない大脳生理の總合像を人類にさきがけて解明した人でもある。これを脳のスポエといわずに何といおうか。

 次に「ひとりじっとそれ(月)を見つめる」であるが、岡は晩年数学ばかりではなく、西洋の文化、文明をつぶさに観察した結果、西洋は第一の心(自我)の世界観しか知らず、第二の心(無私の心)のあることを知らないというところまで追いつめて行った人である。だから岡は西洋文明を見つめ抜いた人である。

 次に「彼は弟子たちによって不死に招かれ」であるが、当初あれほど有名だった岡の晩年10年の行跡は全く知られていないし、没後20年は一冊の復刻もされない状態がつづいたのである。しかし、弟子の三上昭洋さんによって講義の録音が抜かりなく採られ、同じく弟子の松澤信夫さんによってそれらが文章化され、完璧な資料が今や整っているのである。

 次に「両眼は南を向き」であるが、この「南を向き」も共通のキーワードであつて、ノストラダムスは21世紀の我々にこのことを強調したいのだろう。岡は晩年初期にはここまで来てしまえば人類の自滅は必至だと覚悟を決めていたのだが、晩年後期には一転して「最早、人類自滅の危機はさった!!」と宣言したのだから、人類に温かい春は必ずくると確信していたのである。だから「南を向き」である。

 次に「両腕と胴は火の中にある」であるが、私はこの句をはじめ仏教の不動明王を連想していた。しかし、何年かたって岡の畢生の書「春雨の曲」の中に「地神二代ひこほほでみの尊は、若かりし日のわたしの姿である」という箇所を見つけたのである。「ひこほほでみ」を漢字で書くと「彦火火出見」となるのであって、まさに劫火の中から上半身を現した姿である。私は今も岡潔は天上で、この姿でいるものと思っている。なお、このひこほほでみの尊から今の人類の文化、神道、仏教、儒教、老子、キリスト教が生まれ出たのだと岡はいっている。「若かりし日の」とはそういう意味である。

 このように、これまで説明してきたこの詩には、私から見れば無駄な言葉はひとつもなく、知られざる岡潔の姿がクッキリと表わされているのである。この詩は岡潔に関する第一級の作といえるもので、それが証拠にこの詩のナンバーを見てみたい。

 この詩のナンバーは「4巻31番」である。これが大変面白い。岡は春一番の凄まじい嵐とともに、1978年春に亡くなったのだが、その日は3月1日午前3時33分である。いかがだろうか、ピンとくる人もあるのではないだろうか。31番が3月1日を表わし、4巻の4は3が4つ並ぶからである。

 第2の詩

 次の詩は池田さんのタイトルは「天皇の大御心は永遠にして」8巻27番である。

  大いなる救国の道、此方から彼方へのアーチ

  居をあとに、半ば崩壊の地へと一人行く、勇敢なる天子直系の御方

  天皇の大御心は永遠にして、

  世上の人は見るであろう、他国では決してあり得べからざる事ども

  (8巻27番)

 池田さんは終戦後、昭和天皇がマッカーサーと会見するため二重橋(アーチ)を渡り、焦土(半ば崩壊の地)と化した東京市を横目でみながら、会見場へ向かう姿をイメージしているようだが、私はこれを見てやはり岡潔の姿が思い浮かんだのである。特にこの詩には岡の思想面での姿が強調されている。

 先ず「大いなる救国の道」であるが、岡は日本人の心の中に他民族の心の構造にはない第10識「真情」を発見して、今までどうしてもわからなかった「日本の心」を誰にでもわかるように理学的に解明したのだから、岡の行為は「大いなる救国の道」といえるのではないだろうか。

 次に「此方から彼方へのアーチ」であるが、これは池田さんがイメージしている皇居の二重橋のことなどではない。此方が20世紀、彼方が21世紀という意味である。人類は20世紀後半に本当であれば、米ソの核戦争で滅亡していたはずである。それを岡は「最早、人類自滅の危機は去った!!」と宣言し得るところまで持っていったのだから、20世紀と21世紀をつないだことになるのである。だから「アーチ」である。

 次に「居をあとに、半ば崩壊の地へと一人行く」であるが、戦後アメリカ文化とそれに対抗する共産主義(いずれも浅い第1の心の自我思想)が怒涛のごとく流入し、日本の言論界は崩壊寸前の状態にあったのである。岡はそれに警鐘を鳴らし、いわゆる日本哲学をたずさえて一人敢然としてそれに立ち向かったのである。

 次は「勇敢なる天子直系の御方」であるが、池田さんは昭和天皇のイメージで「天子直系」といっておられるが、これは「日本民族の中核」と言い直してもよいのではないか。まさに岡は地位や名誉はふり捨てて、日本に警鐘を鳴らした勇敢なる日本民族の中核であるから。

 次に、「天皇の大御心は永遠にして」であるが、今までの文脈で行くと岡は「日本民族は常住にして変易なし」といっているくらいだから、「岡潔の大御心は永遠にして」と私ならば直したいところである。

 最後に「他国では決してあり得べからざる事ども」であるが、岡にいわせれば心の根底は意や知ではなく、情である。日本人はその情を長い年月にわたって心の中に培ってきたのである。それが第10識「真情」である。そういった民族でなければ、この人類の自滅を止め人類の未来に貢献していくことはできないだろう。だから「他国では決してあり得ない」といったのだろう。

 そして「世上の人は見るであろう」というのだから、岡潔がいずれ世界の表舞台に上ることになるだろうという意味に私はとりたい。なお、この8巻27番の数字にヒントはないように思う。

 第3の詩

 次の詩は5巻75番であるが、この数字にも特にヒントはないように思う。池田さんによるタイトルは「最新天文台について」であるが、これも私から見れば岡潔についての詩であること明白である。特にこの詩には、前の詩以上に岡の特徴がよく現れている。

  より優れた巧妙なものは、より高い山の上

  正方形の石の上に座っている

  南の方に窓を開けて

  手には曲がったステッキを持ち、口は閉じて

  (5巻75番)

 先ず「より優れた巧妙なもの」とは天文台の望遠鏡などのことではない。岡の晩年の思想は、人類の未来を桁違いに先取りしたものであるから、当時の日本でも側近の人以外にはわからなかったものである。非常に格調が高く、従って次元も高く、その上我々にとっては複雑微妙きわまりないものである。だから「より優れた巧妙なもの」である。

 「より高い山の上」は前にも出てきた岡潔を表すキーワードであって、岡の境地の高さをもあわせ物語っている。

 次に「正方形の石の上に座っている」であるが、これも望遠鏡の台座などのことではない。これは岡が亡くなる直前の時期を知っている人でなければ決していえない言葉であって、岡はその頃こういうふうにいっている。「わたしはやっと造化二神(天照と月読)の石室に帰郷して、今そこに座っている」と。「石の上」とはこの石室のことである。私はノストラダムスの大円鏡智の凄さには舌を巻く。

 次に「南の方に窓を開け」は、池田さんは天文台をイメージしているから、こういう表現になったのだろうが、これは先にも出てきたキーワード「南の方を向き」ということである。

 そして、おもしろいのが次の「手には曲がったステッキを持ち、口は閉じて」である。これもノストラダムスは岡をよく見ているなあと思う。

 私が何時もいうことだが、曲がったものから真っ直ぐなものを見れば曲がって見えるのであって、岡は生涯にわたって簡潔で真っ直ぐな思想を残したのだが、それを見る我々の方が逆にねじ曲がって複雑な思想にかぶれているから、岡の持っているステッキがいかにも曲がって見えるのである。

 実はこういうものの見方を私は、ノストラダムスにはじめて教えてもらったのである。そういう意味では私とノストラダムスは500年を隔てての友人だと思っているのであって、今も時空を超えて私を見ているのかも知れない。

 最後に「口を閉じて」であるが、岡は生涯口をきわめて人類に警鐘を鳴らしたのである。しかし、それを聞く我々の方がまったく聞く耳を持たないから、口角あわを飛ばす岡の口がまるで閉じているように見えるのである。これで岡を表現したノストラダムスの3つの詩の説明は終わりとする。

 いかがだろうか。預言とかその解読とかいうものは、人によってどうにでもなるチャランポランなものだという見方もあるのだが、その事実を知っている人か、そういう確固としたイメージを持っている人には、寸分たがわず正確なものなのである。

 それが証拠に、私が解読したこの3つの詩には無駄で余計な言葉は1つとしてないし、文脈が通じず整合性のないフレーズも1つとしてないと私は思うのである。しかも誰も知らない岡潔の姿が、クッキリと浮かび上がってくるのではないだろうか。

岡潔とノストラダムス(2)

 

 前回までのノストラダムスの3つの詩については4、5年前に書いたものだが、今回ある人からもう1つ詩があることを偶然にも教えられた。わたしもまだ何か、もう1つ位あるような気がしていたのである。わたしにとって今回の詩は、岡潔の全体像がわかる決定的なものであり、この合計4つの詩によって人類の隠れた大先覚者、岡潔の姿が予言詩の中で最終的に完成するといってもよいように思うのである。

 その詩は50年程前、日本のノストラダムスブームの火付け役である五島勉の独自の解釈によるもので、「幸福の科学」の大川隆法が30年程前「太陽の法」という書名で発表したことで更に有名となったものである。現在はノストラダムスへの関心は一般には薄れているが、それについてはご存じの方もいるのではないかと思う。わたしは「太陽の法」がまさかノストラダムスから来ているとは思ってもみなかったのである。わたしにとってこんな人類の大転換点で、このような詩にお目にかかるとは正に天の配剤であるとしか思えない。

 では、その重要な詩を次にあげてみる。

  東の国において

  太陽の法が説かれる時

  わたしの恐怖の終末予言はその使命を終え

  新しい時代が始まる

 この詩のナンバーは、もっと情報を集めてみないとわからないが、五島勉が独自に解釈して、それが定説となっているのは確実である。大川隆法も「太陽の法」を「仏法」と見て幸福の科学の存在理由もそこにあると見ているようである。しかし、「仏法」であるならば、何故わざわざ「新しい時代」がこれから始まるのか。

 仏教は2千年前の釈尊から始まって、その後だんだん形骸化してきたのではないのか。大川隆法はそれを現代流に復興したとはいえるかも知れないが、仏教の元祖ではない。だから仮に「太陽の法」が大川隆法のいう通り「仏法」であるならば、予言の文言は「インドの法が再び東の国において説かれる時」となる筈ではないか。

 そして、それに加えて、わたしは大川隆法著「数学者岡潔、日本人へのメッセージ」という岡潔の霊言を読ませてもらったのであるが、誠に失礼ながら岡の初期の出版本からの材料ばかりで、晩年の未発表の超越した思想は全く登場してこなかった。仏教は人類の持つ最高の哲学ではあるが、その仏教に固執して後生大事にしている者と、仏教を更に超越して人類にとって全く新しい思想を展開した者との違いがそこにある。

 わたしは、人類にはまだ全く知られていない岡潔の晩年の資料を密かに読んできたのであるが、岡は日本の心は第10識(情の世界)であることを発見してからは、仏教は第9識(知の世界)、儒教も同じく第9識であることを特定しているのである。つまり、人類の持っている文化文明の全てを総決算して、その上で今まで曖昧であった「日本の心」とは人類の中では最も深い心、第10識(情の世界)であることを特定しているのである。

 だから、「太陽の法が説かれる時」とは、「日本人が長い年月培ってきた第10識(情の世界)を岡潔が再発見して、それを日本人自身に説いた時」ということになるのではないか。そこで初めて人類に第10識という全く新しい心のステージが生まれたと見るべきである。

 そして、ノストラダムスは月を西洋、太陽を日本と位置づけているし、日本の主神は天照大神でもあるから、この「太陽」とは当然「日本」のことであり、「太陽の法」とは「人類が始まって以来わからなかった、第10識(情の世界)である日本の心の原理、つまり法」ということになるのではないだろうか。また、太陽は「北風と太陽」の比喩から、今や「力の思想」と「愛と憎しみ」に陥ってもがき苦しんでいる人類に、「情」という全く反対の世界観を提供するものでもある。

 岡潔は1974年に「最早、人類自滅の危機は去った!」と宣言しているし、同時に日本人は第10識(情の世界)を持っているとも表明しているのだからから、ノストラダムスがいうように日本が中心になってこれから「新しい時代が始まる」ということになるのではないだろうか。

 その辺について、それにまつわる岡潔からの発言を拾い出してみたい。この講演は一般に向けたものとしては晩年でも最終のもので、その「最早、人類自滅の危機は去った」という経緯を抜粋の形でご紹介する。

  ※    ※    ※

  「市民大学東京校1974年」 岡潔

 その初め2年間は、こんなもの書いたところで、ここまで来てしまっては所詮日本民族の滅亡は防げないだろうけど、効果が上がるからするというのでは・・西洋人は「オール オア ナッシング」というが、これは形容すれば「アンビシャス」という形容詞がつく。「ナッシング オア ナッシング」、これが人の「まごころ」というもの、そう思って書いてた。去年(1973年)になって少し事態が好転したと思いはじめた。非常に好転したと思い出したのは去年の7月の中頃から。で、去年の末までには「もう大丈夫、滅びない」と思った。そして今年(1974年)の3月には「最早、人類自滅の危機は去った」と思ってる。

 ともかく自覚したかったん。大自然をいまだかって自覚したことがないん。「今度こそ」っていうんで、自覚する決意で60万年前に(星)移ったんです。そしてやっと自覚した。滅びるのが早いか、自覚するのが早いか。何時もそうなん。そして何時も滅びるのが早かった。それで絶えず星移った。だんだんわかって来るから、「今度こそ」というんで。いや、まだ4年位前(1970年)は滅びるのが早いだろうと思ってた。やっとすり抜けた  自覚するのが早かったら、自覚するなり止めっちまいますから 滅びられんように。自覚しない間は何をどうしていいかわからん。つまり、どっちが先その部屋へ飛び込むかによって、さき飛び込んだ者がスイッチをぱパチッとやったら、もうそれで決まるでしょう。そんな有様です。この3月に飛び込んだ。

 大体、人は認識の主体だといった人がおらん。仏教なんかのいうところを信じないで、わたしのいうところを信じてもらわなければ。大体もう、自覚するや否や、大脳前頭葉の有り方を変えた。だから最早新人類であって、旧時代の人類じゃありません。

  ※    ※    ※

 以上であるが如何だろうか、「太陽の法を説き」、「新しい時代が始まる」とノストラダムスのいうのは、実はこの隠れた岡潔のことではないだろうか。人類の最高哲学である仏教をさらに突き抜け、人類で初めて「日本の心」である第10識(情の世界)を日本人に説き、60万年前から準備して「人類の滅亡を止めた」というのだから、これはとても大川隆法では及ばない。それほどのスケールなのである。

 そうすると、既に滅亡は止まっているのだから、我々のすべきことはそれを現実のものとするための我々の自覚である。「日本の心」とは世界では最も深い第10識(情の世界)であるという自覚である。これは自惚れでもなければ、国粋主義でもない。未来の世界平和の礎(いしずえ)である。

しかし、岡がいうように滅亡がないといっても今となっては、それで一件落着といくものではない。我々の常識が狂っているのである。1から考え直さなければならない。それが出来るか出来んかである。しかし、最悪の滅亡はなくてもそれに近いことが起こらなければ、この狂った世界を正常に戻すことなど出来る筈はない。それにはやはり私には大自然の荒療治しか考えられない。

 わたしの許には一つの情報が入っているが、真偽の程はわからないし、今はいえる段階でもない。それよりも、現在は世界情勢から見て、人類の滅亡を心配する人が多いと思うから「それだけは大丈夫ですよ」という岡潔のメッセージを、皆さんにお伝えしたいと思った次第である。滅亡はない  しかし我々の常識を必死になって1から考え直さなければいけない。それは世界人類の為に、この「太陽の法」の国が先頭に立って。

 なお、このわたしのホームページにはその岡潔の晩年未発表の発言を網羅している。それについてのこれ以外の出版物はないのだから、岡潔の晩年を知ろうと思えばこれを読むしかないのである。是非皆さんもこれを機会に岡潔の晩年の真意に迫って頂きたいものである。

 2025年6月24日 岡潔思想研究会 横山賢二

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